思い立って、昔の旅行記を掘り出して更新します。
鹿児島・熊本の旅 2016/1/30~2/3
1/30①
鹿児島に行くことは、前々から考えていたことだった。
特攻隊の人が最後に飛び立っていった地である知覧に、行きたいと考えていたのである。
就職活動をしているときに、新入社員研修で知覧に行く会社があり、
そこの選考に最後まで通ったので、必然に行くだろうと考えていたら、
落ちたので…これは自分で行くしかない、と思った経緯。
そして、新幹線で長い長い旅へと出る。
母が東京駅まで送ってくれ、駅でチーズ入りのやわらかそうなパン2個と、
玄米甘酒ティー?を買い、いざ新幹線へ乗る。
新幹線に乗っても、東京駅から鹿児島までは7時間。
長いなぁ、と思っていた。行く方法を考えたとき、私の頭の中に飛行機という選択肢はなかったのだ。
国内旅行は陸続きで行く、という昔ながらの考え方が根底にあったからだろうか。
後々にそれがアホだったことがわかるのである…。
新幹線の中では、ずっと音楽を聴き、景色を見たりしていた。
自由席ではあったが、東京駅から乗ったため窓側をゲットしていたので、
有意義な時間ではあった。だが、自由席はほぼ満員。私の隣にも常にだれか座っていた。
博多で、乗り換えをする。九州新幹線なのか。新幹線のデザインがとてもレトロな感じだった。
九州新幹線は東海道、山陽新幹線に比べれば乗客が少なかった。
だけれども、耳になじみのない乗客の声があちらこちらからするから、
東京ではないところに来た!と、実感したのもこのあたりだった。
新鳥栖(佐賀県)の先へ進出するのは初めてで、そこからの景色は目に焼き付けようと必死で車窓を眺めていた。
ちょうど下関あたりで隣になったおばさんとおしゃべりをしたことをよく覚えている。
おばさんの荷物(小さめのトランク)が転がってしまい、それを共同作業で固定させ、
それが契機となって話がはじまったのだ。
その方は鹿児島県の川内に住んでいる方で、旅行が好きなこぎれいなおばさまだった。
なんでも娘が3人いて、そのうちの1人とよく旅行へ行くらしい。
そういえば、川内原発って耳では何度も聞いていたのに、川内と書いてセンダイと読むと、知らなかった私…。
「川内は、原発のあるとこよ」というおばさんの言葉で、おぁ、と気づいたのだった。
鹿児島の話や、パワースポットの話などをしていたらあっという間におばさんが降りる駅、出水に着いてしまった。方言が入っていて、かわいらしい方だった。ただ、岩手の方言も日ごろ耳にしているため、大きなカルチャーショックのようなものはなかった。
つづく