生活記録ノート

毎日のこと、旅行記、趣味などいろいろ綴っていきます。現在0歳児子育て中。

昔の旅~鹿児島・熊本~2016 1/30~2/3 ⑥

1月31日 ③

特攻平和会館を出たのは、12時半。お昼だ!と思い、すぐさま昼食の場所を探した。
「ちらん食堂」という食堂があり、そこまで混んでいなかったので即決。
なぜだろうか、私はロースカツカレーを頼んだ。一つは、鹿児島はとんかつが有名だから。
もう一つは、カレーが食べたかったから。しかし、カツカレーを頼んだのは初めて。
カツ単品、カレー単品はありますが…こういう欲張り?な頼み方ははじめてで、ウキウキした。

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いざ来てみると、ごはんの量が半端ない。あれまぁ。
最初まずカツを食べるが、硬くてかみきれない。食べ始めてすぐの関門…。
どうにか切って、噛むも、抜いた場所にぶつかり痛い…。(4本抜歯直後)
「やはり欲張りすぎたか…」カレーを食べながら思う。だが、カツを残すわけにはいかない…。
非常に時間がかかりながらも、しっかりと咀嚼をして食す。
結局カツ一切れと、ごはん半分ほどを残した。

お代わりでいただいた知覧茶がおいしい。そのお茶を最後に流し込み、いざ下山。
13時半にカレーを食べ終わり、徒歩30分ほどで行けるというので、武家屋敷の方まで歩いていく。
徒歩で通る人はほとんどいなかった。空気は冷たかったけれども、自然が周囲にあり、すがすがしい気分。
おなかもいっぱいだからちょうどいい運動だった。

武家屋敷のある通りには、ホタル館 冨屋食堂がある。特攻隊員たちがよく利用した食堂を、資料館にしたところ。

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ここの冨屋食堂の“鳥浜トメ”さんという方が、ここへ食べにくる隊員たちのいわば母のような存在だった。
とはいっても、彼らが出撃し、もう戻ってこない、という現実を受け止めなければならない、難しい立場にいたと思う。

だって、死にに行くということを簡単に理解ができるのか。トメさんは止めることもできたかもしれない。
でも、送ったんだ。きっと、青年たちの強い意志を、一番そばでみていたからこそなのかもしれない。

ホタル館には、客はまだら。ただ、資料をゆっくりとみることができたので本当によかった。
つらかったことは、生きても死んでも地獄であったということ。
地獄、というと語弊があるかもしれないけれども、出撃中になんらかの不備があり戻ってきた人は、
生き残りとされ、周囲から除け者にされたりし、結局は自殺をしてしまったり、姿を消すケースが多かったから。
人っていうのは本当に勝手な生き物だな…と思った。(戻ってきた兵士を白い眼で見た人たちのこと)

私が驚いたのは、そのトメさんという方(1992年没)に長年寄り添ってきたのが、石原慎太郎さんであったということだ。
私は、彼が脚本、制作指揮をした『俺は、君のためにこそ死ににいく』を見て、あまりにも戦争美化…というか、
右に寄りすぎていないか、と感じたのだが、(まぁ、感動したけど)彼が特攻隊のことを忘れずにこうして映像化したことについても、もうちょっと何か違う意味があったのではないか、と信じたいという気持ちになった。

ホタル館には1時間近くいただろうか。とにかく狭い場所だけれども、じっくり読むことができた。
特攻隊員の方たちが、様々な思いを抱え、ここを発って行ったのだと思うと、
この場所に、この空間に込められた熱のようなものを感じずにはいられなかった。
悲劇の中でも、青年たちが最後に、トメさんという素敵な女性に出会えたこと、
今こうして私のような人間やその他の人たちが訪れ、現実を直視しようとすることはとても良いことだと思う。
彼らの死が無駄ではなかったのだと、そう考える。

つづく