生活記録ノート

毎日のこと、旅行記、趣味などいろいろ綴っていきます。現在0歳児子育て中。

昔の旅~鹿児島・熊本~2016 1/30~2/3 ⑧

2月1日 ①

この日は、朝から「美山」へ出発。いつものように皆が起きる前に一人のそっと起き、身支度を整え、昨日と同じカフェへ。
昨日と同じ女の子がアルバイトをしていて、うれしかった。
同じ物を頼み、同じ場所で食す。昨日よりも少しパンが堅い気がする。
以前韓国料理屋でアルバイトをしているとき、店長が常連のお客さんの方がよく料理のことをわかっているんだよ、
と言われ、ほぉーと思ったものだが、まぁ、こういうことなんだな。

今日は少し余裕があるので、明日泊まる宿などの予約をちゃちゃっと済ます。
ついでに、帰りの飛行機のチケットも取った。阿蘇くまもと空港から羽田空港まで13790円…。
しかも、1時間半で着く。行くときのあの高額はなんだったんだ、二度目のがっかり。
くよくよするな!と自分に言い聞かせる。

美山は、「東市来(ヒガシイチキ)」という、鹿児島中央駅から23分の場所から、バスに乗った先にある小さな町である。
東市来」をなかなか読めず、ヒガシイチライ、ヒガシシキだとか、本当に何度も間違えた。
東市来に着いたのは10時くらい。とにかく、早かった気がする。着くと、あいにくの小雨。

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これくらいの雨ならば大丈夫だろうと、傘を買わずに美山行きのバスへ乗る。

数分で「美山入口」についたので下車ボタンを押したのだけども、明らかに違ったので、次の「美山」で下してもらう。

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この町は、薩摩焼の有名な町。なんでも、400年前、豊臣秀吉朝鮮出兵を行っていたときまで話がさかのぼる。
その時代、朝鮮へ行った島津義弘が、朝鮮で有名な陶工を日本に連れて帰ってくる。
そこから、今に至るまで、薩摩焼の文化が受け継がれてきた…というわけ。
つまり、朝鮮人の方たちが、薩摩焼を伝えたのだ。

ということで、一目でも彼らが根付かせた陶芸文化というものを見たくて、この地にやってきた私であった。
別に、陶芸に興味があけでもなかったのに、韓国が関係しているというだけで、私を動かした。
しかし、この日は月曜日。なんと、有名な窯元がちょうど休み。
しかも、少し強さが増した雨から逃れようと入ろうとした、東郷重徳記念館も休みときた!(東郷重徳は、美山出身の外務大臣

しんしんと冷えるわけではないにしても、やはり寒い…。
その上、人がいない。
鹿児島中央駅で朝の通勤ラッシュを目の当たりにしたからこそ、あの人たちはいったいどこに向かったのか…と。人は、どこにいる?

郵便局に行って、はがきを一枚購入する、ずぶ濡れの異邦人。
とぼとぼと歩いているうちに、T陶苑を発見。空いている感じだったので、入ってみる。
「人がきた」という風に、毛玉が大量についたパジャマの女の人が出てきた。
あ、その前に主人さんが出てきたんだ。二人とも、寝起きという感じだった。
ここは、この地に生まれたこの家のおじいさんが、陶芸をはじめて始まった店だった。

その後、フードをかぶりながら、町を徘徊。次に見つけたのが「荒木陶窯」。
ちょうど行きたいなーと考えていた、「アップルミント」というカフェと同じ方角だったので行くことに。
荒木陶窯は、とても大きな家だった。行くと、普通のおじちゃんが出てきて、
「奥に美術館もあるから、寄ってきなー」とスリッパを出してくれた。奥に入る前に、廊下に貼ってある家系の系図を見る。

これにびっくり。なんと、先祖が「朴平意」なのだ。
そう、この方こそ、400年前に朝鮮出兵をした島津義弘が連れてきた朝鮮陶工の中でも一番最初に名前が出てくる人物であったのだ。

つづく