生活記録ノート

毎日のこと、旅行記、趣味などいろいろ綴っていきます。現在0歳児子育て中。

なんか疲れた、と、養子の話

8月6日

一か月以上続く暑さのせいか、ほぼ24時間続く育児のためか、
体がなんか疲れたなー、しんどいなーって感じ・・・。
巷ではコロナやらRSウイルスが流行っていて、
1歳未満は重症化しやすいとかでやっぱり人混みは躊躇うし
ボランティアの予定だったところもコロナの感染を懸念して
8月末までは様子見になってしまい、逃げ場があるようでないような。

ふぁー疲れたー!!
海でも、山でも、なんか自然の風景をみて、涼しい空気を吸って、
大声を叫びたい、リフレッシュしたい、そんな感じ。

まだまだ、育児だってはじまったばかり。
弱音ははいていられないと強がりの私は思ってしまうけど、
そもそも、弱音をはかないから偉いなんてことないし、
毎日の日記にでも書いたり、適度に発散しないと、
どこかでガタガタと体も心も崩れてしまうかもしれない。

そこまで病んでいるわけではないですが、今日は土曜なので
いろいろと毎日やっていることを休んでみる小休止タイム。。

そういえば、前「そして父になる」のことをちょっと書いたけど、
最近また、その血縁とか、親子とか家族について考えてみてる。
たまたま養子縁組などのことに興味があり、児童福祉分野が
今の私にとったら大きな関心の的なんだけど。

数年前、不妊治療をする人が多いことと、
児童養護施設にいる子が多いこと、里親に迎えられるのは一部である事実から
とっさに「子供がほしい人が、里親になったらいいと思う」と軽々しく
年上の知り合いに言ったことがあった。
その人は、それとこれとは違う問題だよ、と表情を変えたのが今でも印象に残っていて。

しかし、「子供がほしい」ってなんなんだろうと考えた。
その”自分の子供”っていう存在がほしいというのは、わかる気がする。
けど、自分から生まれた子でさえ、自分の所有物ではもちろんなく、
巣立つときがきて、それを親も応援し、親も親で自分の人生を全うするのが
私はいいのではないか?と思っていて、
子供は、親だけではなく社会で育てる・・・
自分で育てられない親がいた場合、育てられる特定の人が
乳幼児期に愛着関係をもって育てることが、この社会のためにも、
これからのためにも、求められているのでは?と思っている。

同じ血でも、違う血でも・・。

次の世代へのバトンタッチでもあるし、一人では確実に大きくなれない赤ちゃんや子供を、
育てることが、家族うんぬんではなく社会にとって必要な気がしてならない。

自分でも書いていて、変なこと書いてるかも?と思うけど・・・
家族は大事だけど、血縁関係のある家族だけ大事、ってのは寂しいしなんか違う気がする。

まぁそんなんで、ちょっと荒れ模様の心ですが、これからパン焼こうと思います。
いろんな方の意見も聞きたいです。

久々に夕飯の写真。Oさんの畑のキュウリとナスがメインディッシュ。