3月9日
私の住む隣町でコロナウイルスの感染者が出たらしく、近くの図書館も20日まで閉鎖になっている、、
いつも新聞を読みに行っていたし利用もしていたので非常に残念。
そうそう、ようやく父母からのプレゼントのホーローやかんをミニ五徳で使えるようになる。
けれど、バター入れがどうしてもない!
せっかくバターを切るナイフを買ったのに、
容器にいれるとバターが切れてくれる便利グッズしかない、、(なんで切っちゃうの)一人でボソボソとつぶやきながらの買い物となった。
今日買ったものは、折り畳み式の丸椅子、ナミダメ、時計かけるフック、本棚、などなど。
ふぁーあ、ほんで、歩きながら考えていた。
幸せについて、、、、、、、、、、、、
震災後に、親戚で亡くなった方がいた。
震災で奥さんを亡くし、引きこもりだった次男も行方不明になり、その親戚が亡くなったあとにみつかった。
長男は障害があるけれど今も元気で生きている。
その親戚が苦しんだ後に亡くなり、私はそのときもう大学生だったけれど、
その親戚は幸せだったのだろうかと愚かなことを考えてしまった。
今なら、何も知らないくせに人の幸せについて踏み込むのはおかしいって思う。
自分の幸せは、自分が一番よくわかっているから。。。
辛かったら逃げればいいし、それでも小さな幸せがあるならねばってもいいし、
自分の幸せのために貪欲に生きてもいいんじゃないのかなあ。。
ただ、自分だけが幸せなのではいけない。
小さな幸せさえ、人に蒔いていければもっと幸せも大きくなっていくのに。
幸せって単純だけれども奥が深い。
自分の幸せは、自分で決める。
人の幸せは、他人が決められない。
だから人の幸せにズケズケものを言ったらいけないと思うし、人の時間を奪ってはいけないと思う。
人に幸せを頼りきるのもおかしい話だと思う。
この人に幸せにしてもらう、っていうよりも、
この人がいるから幸せだし、お互いがそう思っていたら最高だね…。
しかし、イタリアも大変そうね。
こんな事態を誰が想像したでしょうか。
今晩はOさんが奈良のお土産で柿の葉寿司を買ってきてくれた。
なんと、大根の柿の葉寿司もある新タイプ。
美味しかったあ!!!!!!
ほんで、【サバイバル·ファミリー】という日本映画をみていた。
なかなかよかった。物ってなんなんだろうね。
明日は雨らしい。けれども気温は上がるっぽい。
春がすぐそこだなぁ。ガンバレガンバレ。