生活記録ノート

毎日のこと、旅行記、趣味などいろいろ綴っていきます。現在0歳児子育て中。

出産の記録

1月6日

忘れないうちに書き記しておこう・・・
12月31日、無事に出産致しました。
30日は夜にもつ鍋を食べて、Oさんはオレンジピールを作ったり
お年玉の準備をしており、私は23時前には布団に入った。

その後寝る前に生理痛のような痛みがあり、どうも感覚が5分ほどの間隔で、
一気に「もしかして・・・」と思う。陣痛じゃなかろうか?
Oさんも寝たあとに一人リビングに行って時計とにらめっこしながらうろうろ。
産婦人科は1時間以上その状態が続いたらとのことだけど、
30分ほどたったあたりでこれでも連絡しちゃいけないのかな?というくらい痛かった。

なので45分くらいで電話をすると、やはり「前駆陣痛じゃないですか?
とりえあず、入院のセットをもってきてください。もし、陣痛じゃない場合は
5,000円が必要です」のようなことを言われ、わかったわかったと思いながら
Oさんを起こして車で産婦人科へ向かった。途中おにぎりも買って、いざ到着。

すぐにベッドに寝かされ、赤ちゃんの心拍を確認するNSTの装置をつけた。
その装置は赤ちゃんの心拍と陣痛の具合がわかるもので、それと子宮の開き具合で
陣痛ということになり入院する次第になった。

Oさんには一度帰ってもらい、陣痛との闘いがはじまる。
この時点で深夜の2時近かったと思うけれども、子宮口はあまり変化なく、
等間隔の陣痛とひたすら耐えて耐えまくる孤独な時間が続いた。
ナースさんは「がんばってね」という感じで常駐してくれないから本当ひとり。(みんなそんなもんみたい)
朝になり、ようやく変化があり、旦那さんも呼んでいいですよと言われ呼ぶも、
結局そこから生まれるまではまた6時間ほどかかったと思う。
もう何がなんだかわからなくなる痛みだったけど意識はあって、
いろいろなことが頭に浮かびながら、もう逃げ出したいほど痛くて
でももう少しだと頑張った。

実は30日の深夜から陣痛のたび吐き気が襲って夜のものを戻したりしており、
おにぎりもウイダーも全く受け付けなかったからか、点滴でブドウ糖が注入された。
陣痛のたびに息を吸って吐かなければならないのに、いきんでしまうため
赤ちゃんに酸素が行き届かない状態が続いたりして、最後の最後で、
子宮口が全開になっても陣痛が足りず誘発剤を注入することになる。

誘発剤は避けたかったので最後まで助産師さんは自力で頑張ってもらおうとしていたが
最終的に母子のことを考えてと言われ、もう痛すぎたので承諾して、そこからは早かった。

みそかの昼の14時手前、最後は痛すぎるけどどんな状態か想像すらつかないけど、
ジュルっと?シュルっと?赤子が出てきたときは大感激!!!ではなく、
ハッとした。出てきたんだ・・・おなかの中で続いていた陣痛やら赤ちゃん感やらが
一気に洗い流されて、外に出ていったのがわかった。

事を理解するのに数分ほどかかり、あ、産まれたんだ・・・と安心で涙がこぼれた。
カンガルーケアというのか、母子の状態をみて生まれたての赤ちゃんを抱っこする時間があって、
はじめて生まれたての赤ちゃんを胸に抱いた。
温かくて、何とも言えない感じ。Oさんは携帯を置いてきたと私のスマホ
写真やら動画を撮りまくっている。
よく、出産して笑顔のお母さんと赤ちゃんの写真を見るけど、私は笑う余裕がなく
あとからみたら疲れ切った顔をしたものばかり。

そんな中、2時間だけ回復時間ということで時間を与えられ、親子3人でのはじめての時間。
赤ちゃんは泣いたり、眠ったり、小さい体を震わせたりしている。
名前は数か月前から決めていて、ずっとずっと早く会いたいねと話していた子が、
今胸の中にいるんだぁ。
感動というのは徐々にやってくるものだった。
赤ちゃんSを抱きながら「よくがんばったね」と話しかけて、産まれてきてくれてありがとうと思った。
合計15時間の出産の記録でした。

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今、そんな赤ちゃんSは私の横ですやすやと眠っている。
昼夜構わず怪獣のように泣き叫ぶSだが、すやすや眠る顔を見ると幸せだなぁと思う。
(もちろん怪獣のような姿も愛していますが)

実は昨日退院したので、今日からが家族での新たな1日となる。
また、病院での出来事などは書こうと思います。
とりあえず産褥期というわけでゆったり赤ちゃんリズムで過ごすことが大事なのかな。
いろいろなことがはじめてですが、まぁ楽しんでいこうと思います。

世間はオミクロン株が流行りだしてきて、どうなっちゃう?雰囲気。
今年もコロナかぁ。今年で落ち着いてほしいと切に願う。
ではでは、またね。